数年前、日比谷公会堂が使われなくなった。
戦後、日本のクラシック音楽の殿堂として長年君臨し続けたコンサートホールだ。
かつては、ローゼンシュトックが指揮し、ストラヴィンスキーも指揮台に立った。
岩城宏之や山本直純は、学生の時にステージ上のひな壇の下に潜り込んでローゼンシュトックをむさぼり聴いていた。
私自身、日本のオーケストラの生演奏で初めて聴いたのが、日比谷公会堂であった。
森正指揮の東京都交響う楽団だったと思う。
ベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」が演目の中にあり、ピアノソロを松浦豊明が務めた。
クラシック音楽にとって、ホールというのは、大きな楽器そのものだ。
各ホールに独自の音がある。日比谷公会堂は響きもしないホールであったが、その重責を果たしてきた役割には、ひとまず、お疲れ様と言いたい。
それと、日比谷公会堂は、大型の楽器を中に入れるのに一苦労するホールだった。
裏で音楽会を支えた人にもありがとうを言いたい。
そういえば、最近、久しぶりに中野に行ってみた。
学生の折から行きつけのとあるレコード屋に寄ってみると、何でも、松浦豊明は、そのレコード店の上得意であったという意外な事実が判明した。
そこのレコード屋の女主人もカール・オルフのカルミナ・ブラーナを世に宣伝しまくった人として名高い人だ。
こんな意外な話が飛び出るなんて、だからこの世は面白くもある。
話をホールの話に戻すと、日比谷公会堂の後を継いだのが、上野の東京文化会館だ。
ここが日本のクラシック音楽の本拠地となった。
ここでも様々な名演が生まれている。
わが青春のホールでもある。
そして、ベルリンフィルの本拠地をちょっと小型にした様なサントリーホールを始め、どんどんと良いホールができてきた。
新潟にある「りゅーとぴあ」の大ホール等は、サントリーホールを更に小型化した感じだ。
そう、今や、東京、大阪だけではなく、その他の大都市にも良いホールがあって、我々は身近に良い音楽を聴く環境にあるのである。
一方で、消えていくホールは日比谷公会堂だけではない。
五反田の簡易保険ホールといった東京文化会館に近い響きを持つ良いホールも消える運命にあったようだ。
ここはこけら落としの時にピアノがアンドラーシュ・シフ、NHK交響楽団の演奏でベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」を演奏して、私も聴いている。
残念でならない。
かつて、ヴァイオリニストのアイザック・スターンはカーネギーホールが歴史の幕を閉じようとする危機に扮したとき、日本企業に救いを求めた。
だが、日本の企業の中で、本当に芸術を愛し、理解し、国内のホールの存続にお金を出す人は無いかもしれない。
パリのオペラ座は2つある。
歴史あるものと新しいものだ。
日本もこれをお手本としたい。
それに近づく第一歩は、身近なホールをどうすれば宝と考えられるようになるかなのである。
コメント