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古典派の時代とベートーベンの画期的な交響曲

桜の木の前で笑っている女性

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クラシック音楽の最初は、宗教音楽とかであった。
シュッツ、ビバルディ、バッハ、ヘンデル等がそうだ。

この時代を過ぎると古典派と呼ばれる作曲家達の時代となる。
ハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト等がそうである。

ちなみに、日本の邦楽におけるクラシック音楽というのは、応仁の乱の時に沢山の楽譜が焼き尽くされてしまったそうである。

クラシック中のクラシック「古典派」

話は西洋のクラシック音楽に戻る。
そもそも、クラシックとは古典という意味だ。
即ち、古典派というのは、クラシック中のクラシックな音楽なのである。

この時代、音楽家はいろいろな影響を受ける。

例えば、トルコのリズムにモーツァルトもベートーベンも「トルコ行進曲」を作った。

ピアノも大きな音が出る今のピアノに近いもになっていき、上流階級の習い事として使われていった。

音楽は教会や宮廷から離れて、どんどんと民衆のものになっていく。
そして、紛れもなく民衆の音楽を勝ち取ったのがベートーベンその人であった。

ベートーベンの画期的な交響曲たち

彼は交響曲第3番「英雄」で、今までに例を見ない画期的なことを行った。
出だしの2泊を大きく出し、そのあとに続くメロディをチェロに唄わせたのである。

それまでの時代は、メロディは高音部にあり、低音部は伴奏だけだった。
それを画期的に変えたのである。

低音部に唄わせたのは民衆に唄わせたということにも近いものを感じる。
とにかく、こんなにも画期的なことはなかった。
この時、彼は同時に民衆の音楽を得たのである。

そして、交響曲第6番「田園」では、風景を音楽で奏でるということに挑戦し、見事に描き切った。

そして、交響曲第九番では、人の声をオーケストラと一緒にすることを行っている。
これまた、画期的な話である。

実は、第九にはスケッチ的な存在の合唱協奏曲というのも存在するのが有名であるが、それよりも、第九の4楽章の有名なメロディは、モーツァルトのK.222の合唱曲に似たものがあることもまた有名だ。

このモーツァルトの曲をベートーベンが聴いたかどうかは定かではないが、古典派の受け継がれが記憶のような気がする。

そして、第九は、耳の聞えないベートーベンの指揮で演奏され、終了と同時に拍手喝采を受ける。

その聴衆の熱狂ぶりは知らせるため、コンサートマスターがベートーベンの体を聴衆に向かせて初めて彼はその成功を知る。

そして「ロマン派」へ繋がっていく

ベートーベンはその第九の初演から3年後に亡くなり、彼の死後、更に3年がたって、あのベルリオーズの幻想交響曲が初演される。

ベートーベンの交響曲第6番の影響から5楽章形式で書かれたこの交響曲は風景的なもののみならず、ストーリーを内包した画期的なもので、ここから、ロマン派の幕開きとなっていくのである。

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